一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)

沖縄の軍用地に関する問題解決、地主の財産権の擁護及び福利増進を行っています。

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土地連の歩み-通史編

第三節 軍用道路の移管問題

一 資産(道路施設)の買取りから、それははじまった

沖縄の本土復帰から既に三二年が経過した今日、「軍用道路とは何か」、これまでの資料や記録を収集し、整理して取りまとめてみた。
「軍用道路」。それは、去る大戦時から戦後にかけて米軍の手によって築造、拡幅または新設されたもので、沖縄の本土復帰までの二七年間、米軍の管理下に置かれていた道路をそのように呼んでいた。

「道路」とは、一般交通の用に供するために土地の上に築造された施設と定義づけられている。通常、道路には、行政庁が築造、管理する公道と、私人が事実上一般交通の用に供している私道とがある。しからば、軍用道路は公道か、私道か、その実態は必ずしも明確ではなく、法的制度においてもその位置づけは、不備不完全なものであったと理解している。例えば、県道二〇号線(北谷町砂辺から沖縄市胡屋の間)や復帰後に開放された国道三三一号(旧軍道三号線:小禄鏡水から宇栄原)は、完全に排他的道路であった。

「みち」は、人間がこの地上において生活するようになった時点から、自然発生的にでき、そうして生活道路として使われてきたものである。明治になって道路法(旧法)が施行され、沖縄の道路の大半が「県道」に認定され、沖縄県が「道路管理者」になっていたが国道は、ほんの僅かであった(市内の軽便鉄道 那覇駅から港「通堂町」まで)。

しかし、軍用道路は、本土又は沖縄(琉球政府)の法律所要(道路法等)の規定に基づかない道路であった。

復帰の時点において、それは県下二五市町村、一六路線、二三〇キロメートル、面積にして八三万九、〇〇〇坪(約二五四万平方メートル)におよぶ広大なものであった(「図第1-1、2」参照)。

移管された道路とは、「土地」のことではなく「公共施設」としての上物(構造物)の部分のことである。

道路の構造物(等)を、現行道路法第二条の規定を援用すると「一般交通の用に供する道で、トンネル、橋、渡船施設、道路エレベーター等道路と一体となってその効用を全うする施設又は工作物及び道路の付属物で、当該道路に付属して設けられているものを含む。」と定義されている。

ところで、「軍用道路の移管問題」は土地問題の解決の前に、日本国とアメリカ合衆国との間における「資産(道路施設)の買い取り」という政治的問題が介在していたのである。

一九七一年(昭四六)六月十七日に調印され最終的な日米合意となる沖縄返還協定(一九七二年五月十五日発効)は、その第六条(第一項及び第二項)及び第七条において沖縄電力公社、琉球水道公社及び琉球開発金融公社の財産は勿論、「その他の全てのアメリカ合衆国政府の財産」で、この協定の効力発生の日に琉球諸島及び大東諸島に存在し、かつ、第三条の規定に従って同日に提供される施設及び区域の外にあるものは、同日に日本国政府に移転すると規定され、その中に「軍用道路」も含まれていたのである。


 

「図第1-1」


 

「図第1-2」


 

そして、第七条で日本政府がアメリカ合衆国に支払うべき金額について、次のように定めている。

『①日本政府へ移管するアメリカ合衆国の財産の買取り(一億七、五〇〇万ドル)、②日本の非核三原則に背馳しないよう沖縄から核兵器を撤去する費用(七、〇〇〇万ドル)、そして③沖縄の軍雇用員への退職金を本土並みに引き上げるための資金を日本政府が肩代わりするため(七、五〇〇万ドル)に、日本政府は、この協定の効力発生の日から五年間に合衆国ドルでアメリカ合衆国に対し、総額三億二、〇〇〇万ドル(一、〇五二億円)を支払う』となっている。

加えて、『この額のうち一億合衆国ドルをこの協定の発効の日(昭和四十七年五月十五日)の後一週間以内に支払い、また、残額を四回の均等年賦でこの協定が効力を生ずる年の後の各年の六月に支払う』となっている。

この、三億二、〇〇〇万ドルは、政治的な「どんぶり勘定(つかみ金)」であったとも言われている。例えば、現在の県庁所在地にあった琉球政府の行政第一ビル(四階建て)も、この買取り資産の一部であった。

そして、移管される資産の評価額は、返還時の価格変動も考慮に入れて一九六九年(昭四四)六月三十日現在(年度末)の帳簿価格とし、またアメリカ合衆国の投資額に見合うような金額にすることを条件としていたのである。果たして、移管される軍用道路の資産の適正価格はいくらだったのか。(知る人はいない。)

当該軍用道路の資産評価は、日本政府が一金七〇〇万ドルを見積もり(この額を一〇〇パーセントとしたとき)、これに対するアメリカ合衆国の要求額三、九〇〇万ドル(五倍強)、そうして琉球政府の試算額が一、九〇〇万ドル(三倍弱)であったとも記録されている(「軍用道路及び資産買取試算調書」次頁)。

ところが、一九七〇年三月(頃)と言えば琉球政府にとっては天と地がひっくり返るような超多忙な時期(復帰直前)に、どの部署で、だれがこの作業を企画し、何の目的に使ったのかは不明であるが、数値的なものは「当」を得ているものと思料される。

何故ならば、県内の軍用道路は県民の生活道路であり、担当者にとっては当該路線名、起点終点、延長及び総延長、面積等に加えて、一九五八年(昭三三)八月に軍道二八号並びに四〇号(那覇市首里儀保から泊十字路の間)の無償譲渡を受けた前歴があり、計数的並びに技術的にも十分なる検証がなされた経緯(実績)があることに鑑みれば、一考に価する数値ではなかろうか。
ただ、当時の関係者に、このことに関して事情聴取しても誰も関わった者はいない。


 

「軍用道路及び資産買取試算調書」

種別 路線名 起  終  点 延  長
(m)
幅  員
(m)
面  積
(㎡)
単 価
($)
試 算 額
($)
摘 要
軍道 1 那覇市明治橋 読谷村大湾 22,856 21.0 479,976 8.50 4,079,796 橋梁を含む
軍営繕 1 読谷村大湾 名護町許田 36,606 10.4 380,702 8.50 3,235,967
1 名護町許田 名護町城 6,100 9.8 59,780 9.00 538,080
軍道 3 那覇市明治橋 那覇空港 1,520 21.0 31,920 6.50 207,480
5 宜野湾市普天間 コザ市胡屋 6,005 18.9 113,495 6.50 737,717
軍営繕 5 宜野湾市真栄原 宜野湾市普天間 6,225 10.4 64,740 6.50 420,810
軍道 6 読谷村伊良皆 読谷村楚辺 ASA部隊 1,705 10.4 17,732 6.50 115,258
軍営繕 6 恩納村仲泊 石川市東恩納 4,542 9.8 44,512 6.50 289,328
7 那覇市小禄 糸満町照屋 8,200 9.8 80,360 6.50 522,340
軍道 8 具志川市栄野比 勝連村ホワイトビーチ 11,434 10.4 118,914 6.50 772,941
10 具志川市平良川 具志川市川田 2,819 10.4 29,318 6.50 190,567
13 与那原町与那原
宜野座村潟原
金武村屋嘉
久志村辺野古
38,875 12.1 470,388 6.50 3,057,522 橋梁を含む
軍営繕 13 糸満町照屋
金武村屋嘉
糸満町与座
宜野座村潟原
19,269 10.4 200,606 7.50 1,504,545
軍道 16 嘉手納ロータリー 具志川市赤道 8,394 12.1 101,567 8.00 812,536 一部コンクリート舗装
20 コザ市胡屋 嘉手納航空隊第二ゲート 427 20.7 8,839 6.50 57,453
22 北中城村ライカム入口 美里村泡瀬 3,298 9.1 30,012 6.00 180,072
24 コザ市胡屋 具志川市安慶名 7,397 10.4 76,929 6.50 500,038
軍道 30 宜野湾市伊佐 北中城村渡口 5,560 12.2 67,832 6.50 440,908
軍営繕 34 宜野湾市大謝名 宜野湾市真栄原 1,471 10.4 15,298 6.50 99,437
44 那覇市旭町 与那原町与那原 9,142 9.1 83,192 8.00 665,536 橋梁を含む
軍道 与那原町与那原 佐敷村新里 4,945 10.4 51,428 6.50 334,282
軍営繕 52 糸満町与座 東風平村嘉良 1,476 7.3 10,775 6.00 64,650
軍道 130 北谷村北谷 北中城村瑞ヶ覧 1,829 18.3 33,471 6.50 217,561
137 佐敷村新里 知念村親ヶ原 2,415 12.2 29,463 6.50 191,509
184.69km 19,236,273

 


 

しかし、日本政府には、両国間に五倍強の開差があっても妥協するしか道はなかったのではないか。外交力学の問題である。そして、県内世論をみるに、次のような見出し記事があった。

「沖縄協定の現実と問題点」の中に、『・・・毎日、軍用民間合わせて一五万台以上が通過する軍用道路一号線』(一九七一年五月二十一日付け琉球新報)。

「”軍用”のため、この道路には歩道が全くない。ガードレール、歩道橋などの”人命安全施設”もきわめて不完全だ。さらに最大の問題は道路用地の七、八割以上が民有からの借り上げ地であること。『復帰後この民有地を全部買収するには一億七〜八、〇〇〇万ドル以上はかかる』と言われる。

『資産買い取り交渉で本土政府は、沖縄のためにこんなに金を使った』と復帰後、大蔵省は毎年予算編成時期になると我々に恩を着せるのではないか」—琉球政府首脳はいま真剣にこんな心配をしている。

これ、即ち「潰地」の問題である。この問題は後述するとして、ちなみに、一九七〇年(昭四五)三月十六日から四月四日までの間、日本政府(建設省)の調査団(第一陣)が来沖し先島を含め、県内の「道路事情等」を中心に調査した報告書の中に資産の買取りの一項目(琉球政府の試算額)があるので参考に供したい。即ち、次の通りの報告である。

「報告書」(抄)

軍道の移管

軍道移管については沖縄の本土復帰に伴い返還されるべきものであると考え、その問題について検討することとする。

イ、移管の順位

道路の機能を著しく阻害している軍道の通行禁止箇所の解放要請する必要がある。また軍事道路の性格から車両優先思想が強度にあらわれている事実から交通安全施設の設置が著しく阻害されている。
また、道路網を考慮した円滑な道路交通を確保する措置がとられていないので、これらの改善を求めるとともに、さらに、道路占用、沿道規制権等については、早急に移管を求める必要がある。道路自体については、全島基幹道路及び都市内の街路は高度に一般交通がなされていることから、住民の道路としてこれらを優先して早急に返還するよう要請する必要がある。

ロ、軍道有償移管の可否

軍道は米国合衆国の統治権に基づいて米軍独自の必要性及び方針に従って建設されたものであり、当該道路の建設によって受けた受益は非常に大きい。また、将来も一般通行車と同様の利益を受けるとともに、重車両の通行による将来道路に与える損傷率、復元補償等を考慮すれば、無償で返還されるべきものと考える。なお、現在までに返還された軍道については無償で移管されている。

ハ、移管後の道路の管理

移管後の道路の管理については、本土道路法に基づき、道路の性格に応じて一般国道、県道、市町村道に区分され、そ

れぞれの管理者により管理体制の整備が行われることは当然である。なお、締めくくりとして軍道を有償移管した場合の所要額は、琉球政府試算によれば一、九二三万六、二七三ドル(約二、〇〇〇万ドル)となっている。

二 日本法制下への諸手続き

冒頭において「軍用道路」は米合衆国の資産であって、他の資産と一括して日本政府に有償譲渡されたと述べた。沖縄現地では、琉球政府、立法院をはじめ保守、革新を問わず、こぞって反対を表明し、沖縄県民に無償で譲渡すべきものであるとの主張をくり返していた。
しかし、ボールは日本政府の手のうちに「有償」の形で移ったのである。復帰まで余すところ一一ヶ月。一九七二年(昭四七)五月十五日までに、法的手続きを経て一般交通の用に供するには、軍用道路を構成する土地の使用権原を確保する必要があった。このことについては、後述するとして、復帰関係法令はどのように措置されていたのかを検証する。

日本政府は一九七一年(昭四六)九月三日の閣議において「復帰対策要綱(第三次分)」を決定し、『道路』について次のとおり策定している。即ち、

復帰対策要綱(第三次分=抜粋)
四 産業・経済
21 道路

*復帰後の沖縄の道路については、一般の交通の用に供されている軍道、軍営繕政府道および政府道のうち本島の交通幹線となるべき道路を国道とし、原則として国の直轄でその整備促進するものとする。

*その他の一般交通の用に供されている軍道、軍営繕政府道および政府道は原則として県道に、市町村道は原則として市町村道とし、その整備を促進するものとする。

*また、復帰に伴い必要となる軍道および軍営繕府道の「敷地の取得」については、特段の助成措置を講ずるとともに、沖縄の特殊事情により未買収となっている政府道および市町村道の敷地の取得については、その実態を調査のうえ、必要に応じ適切な措置を講ずるものとする。
なお、道路交通安全施設等の整備については、特に配慮するものとする。

さて、前記要綱に基づき具体的に何をどう為すべきか、または何がどうあるべきか琉球政府と日本政府の「協議(復帰作業)」が始まったのである。日本政府(建設省)の道路問題調査団の来沖は、一九七〇年(昭四五)三月(一回目)である。(その後、数次に亘り同様の調査団が来沖している。)

一九七一年(昭四六)十一月八日、来沖した建設省道路局次長を団長とする調査団の報告書につぎのような内容が記述されている。
「国からの長期派遣職員及び琉球政府職員により道路敷地問題について共同で処理する体制を協議した。これは軍道のうち、復帰後、国道や補助国道となるものがあること及び地元の当事者であること等から琉球政府も建設局、法務局(土地業務課)の関係者から若干名の人員を出して、これに専念させ共同作業を行うべきことを終始説得した。その結果、漸く琉球政府当局も、これに応ずる考えになった。」
琉球政府の態度は、一貫して「軍用道路を含む「軍用土地問題」は、すべて国の責任で処理すべきで、琉球政府は多少の協力しかできないし、人手もないとの態度であった。」

具体的には、十一月上旬(一九七一年(昭四六))の補償調査には全面的に協力する旨が約束された。」ということで合意を得た。

これで全てが、円滑に事が運んだのではない。政治的問題(提供施設等との関係)、法的問題(公用地暫定使用法等の適用)、予算的問題等も、いまだ未解決のままで復帰に向かっていったのである。

軍用道路は、一般交通の用に供されているが、日本の法律(以下「本土法」という)及び琉球政府制定の道路法のいずれにも規定又は制限、制約(等)を受けることの無い道路であったため、一九七二年(昭四七)五月十五日の復帰の日に向けて所要の手続きが必要であった。

まず、先行して琉球政府制定の道路法の手続き(路線の指定等)が必要であり、次に復帰のその日(昭和四十七年五月十五日)までに、本土法による一連の手続きを終える必要があった。それは、次の工程を経て完了している。時系列的に列挙すると次の通りである。

一、沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律

(昭和四十六年十二月三十一日法律第一二九号)
第百三十六条(政令への委任)
(条文省略)

二、沖縄の復帰に伴う建設省関係法令の適用の特別措置等に関する政令

(昭和四十七年四月二十八日政令第一一五号)
第八十七条(路線の認定に関する経過措置)
法の施行の際存する沖縄の道路法(一九六五年立法院第六四号)の規定による政府道又は市町村道で、法の施行の日に道路法(昭和二十七年法律一八〇号)第七条の規定により一般国道の路線の指定がなされないものは、それぞれ同法第七条又は第八条の規定により路線を認定された県道又は市町村道とみなす。
第八十八条(国有に属する道路の敷地に関する経過措置)
(条文省略)

三、琉球政府制定の道路法による手続き

(公報号外 第三四号)
(一)告示第一一八号(政府道路線認定に関する告示)
道路法(一九六五年立法院第六四号)第五条の規定に基づき、政府道の路線を次のように認定する。その関係図面は、建設局土木部土木課において、一般の縦覧に供する。
一九七二年四月二十五日

行政主席 屋良 朝苗

(「別表第1」参照)

(二)告示第一三〇号(政府道路線廃止に関する告示)
道路法(一九六五年立法院第六四号)第八条第一項の規定に基づき、次の政府道の路線を廃止する。その関係図面は、建設局土木建築部土木課において一般の縦覧に供する。
一九七二年四月二十五日
行政主席 屋良 朝苗

(「別表第2」参照)

(三)告示第一三一号(道路区域決定)
道路法(一九六五年立法院第六四号)第十二条第一項の規定に基づき、道路の区域を次のように決定する。その関係図面は、一九七二年四月二十五日から建設局土木建築部土木課において一般の縦覧に供する。
一九七二年四月二十五日
行政主席 屋良 朝苗

(「別表第3」参照)

四、沖縄の復帰に伴う建設省関係法令の改定に関する政令

(昭和四十七年四月二十八日政令第一一六号)

(「別表第4」参照)

五、建設省告示第九四四号

道路法(昭和二十七年法律第一八〇号)第十八条第一項の規定に基づき、道路の区域を次のように決定する。その関係図面は、昭和四十七年五月十五日から二週間沖縄開発庁・沖縄総合事務局において一般の縦覧に供する。
昭和四十七年五月十五日
建設大臣 西村 英一

(「別表第5」参照)

六、建設省告示第九四五号

道路法(昭和二十七年法律第一八〇号)第十八条第二項の規定に基づき、次の道路の供用を開始する。その関係図面は、昭和四十七年五月十五日から二週間沖縄開発庁・沖縄総合事務局において一般の縦覧に供する。
昭和四十七年五月十五日
建設大臣 西村 英一

(「別表第6」参照)

前記告示のとおり復帰の日において、軍用道路(二三〇キロメートル)の内、一八〇キロメートルは、琉球政府の道路法の規定による政府道を経て「一般国道」になり(残り五〇キロメートルは県道に)、県民に晴れて供用開始されたのである。

しかし、復帰の日に軍用道路全体が円滑に、県民一般に開放されたのではない。積み残し(宿題)があったのである。

記憶している方も多いと思うが、国道三三一号「那覇空軍海軍補助施設(通称:那覇空軍基地)」の第一ゲイトから第二ゲイトまでの間(約三キロメートル)は、復帰の日から一年二ヶ月余、「開かれずの門」であった。

関係者の間において、交通方法変更事業とセットで、「もうひとつの七・三〇」と称されていた。南部方面への通行は、「山下交差点」から左折(交通方法変更前)して小禄、糸満方面へ向かったものである。

この区間の開放が政治折衝の結果、県民に開放されたのが復帰翌年(昭和四十八年)の七月三十日午前八時〇分(普通は、その日の「午前〇時〇分」である。)であった。参考まで「官報告示」を掲載し、全国的にも珍しい、ウチナールポケン(沖縄のみ)の事案(時間表示)を紹介する。
(その後沿線は、一部基地が返還され都市再開発の結果、素晴らしい都市に変身している。)

建設省告示第一六四〇号

次のように道路の供用を開始するので、道路法(昭和二十七年法律第一八〇号)第十八条第二項の規定に基づき、告示する。
その関係図面は、昭和四十八年七月二十八日から二週間沖縄総合事務局及び同局南部国道事務所において一般の縦覧に供する。
昭和四十八年七月二十八日
建設大臣 金丸 信

路線名 三三一号
供用開始の区間
那覇市宇栄原仲添原一四二一番から同市鏡水名座原六八一番一まで
供用開始の期日
昭和四十八年七月三十日(八時)

三 敷地の使用権

復帰の日に『軍用道路』を一般道路として供用することについての道路法等の手続が完了したことは前述した。
残された大きな問題は、米軍が保有していた軍用地の「使用権原」の取得である。一万人余の地権者からの契約取り付けが、時間的にも、法的にも大きな問題であった。確かに一九七一年(昭和四六)の「沖縄国会」において「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(昭和四十六年法律第百三十二号、以下「公用地暫定使用法」という。)が公布されたが、それによる収用又は使用は当時の県民の心情、世相等からして困難であった。

沖縄の施政権の返還と同時に布令第二百号に基づく賃貸借契約は、同布令がアメリカ合衆国の沖縄における施政権の行使のために必要な土地の権原の取得を目的としたものであることに鑑み、復帰に伴い自然に失効することとなるので、復帰後新たに何らかの方法により道路の区域となる土地の使用権原又は所有権を取得する必要があった。
この方法として、

  • (一) 区域となる土地について所有者と使用についての交渉を行い、使用についての合意が成立しない土地及び所有者不明土地(市町村非細分土地を含む。)のみを公用地暫定使用法又は新たな立法により一時使用する方法
  • (二) 区域となる土地を買収し、所有権を取得する方法
  • (三) 区域となるすべての土地について、公用地暫定使用法又は他の新たな立法により、一時使用権を設定する方法
  • (四) 米軍が現に有している使用権を承継する方法

等が検討され、結果的には(一)の方法が採用されたが、軍用地地主会連合会(土地連)の、”復帰後も現に道路敷として供用している敷地については道路管理者に使用させる”旨の基本合意がなされたこと並びに行政主席の意向もあり、「公用地暫定使用法」による、いわゆる「暫定使用」の手続きは行われなかった。

ここに、行政主席の当該手続に対する回答文書を紹介する。

建土第一二二七号
一九七二年四月二十六日
建設省道路局長殿
琉球政府
行政主席 屋良 朝苗

軍道移管に伴う暫定使用の手続について(回答)

沖縄の道路行政に関しては貴職のご心配により本土復帰の準備も着々と進みつつあり感謝申し上げます。

さて、四月十七日付け建設省道政発第三一号による標記の件については次のとおり回答いたします。

沖縄の復帰に伴い沖縄県道となる道路の敷地につきましては、貴局職員の全面的ご協力のもとに一応関係者全員の使用承諾が得られる見通しがつきましたので、「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」の適用の手続きは不必要であります。

以上

四 調査報告書

国(建設省)が、沖縄の道路用地の実態調査のため、数次の調査団を沖縄に派遣したことは前述したが、その時々の調査報告書から所要の箇所を抜粋して、参考に供したい。

1、軍用道路地の実態調査について

(一) 調査の必要性

第三次復帰対策要綱に従い、とくに沖縄復帰と同時に対策が迫られる軍道及び軍営繕道(以下「軍用道路」という。)の敷地については、現在アメリカ合衆国が賃借料を支払い、借上げという形を取っている。復帰後、これらの軍用道路は、それぞれの道路の規格等により一般国道、県道となるものであるが、その場合直ちにそれぞれの道路管理者において軍用道路用地(以下「軍道潰地」という。)の全部の権限(所有権)の取得をすることは不可能であり、これらの用地を取得するまでの間引続いて賃借していく必要がある。

このため、この軍道潰地に係る賃借料及び取得費を大蔵省に対し、予算要求することとなり、その対象面積、賃借料の額等について把握する必要を生じたが、その対象面積等については、琉球政府なり、土地連なりが、それぞれ独自の数字をもってはいるが、調査の方法・目的の違いから、これらの間には整合性がなく、不明確な点が多いのが実情であった。

(二) 調査方法

そこで、これらの数字をもとに、米軍地区工兵隊(以下「DE」という。)、防衛施設庁等からの資料提供を得て、より確かなものを求めるため、次の作業目標に従い調査を実施することとした。

  • (1) 路線別、市町村別、施設内外別(片側基地又は両側基地)に対象路線延長及び面積を調査確定する。
  • (2) 米軍施設内の道路については、DE、防衛施設庁等との調整を行って、復帰後道路敷として引継ぐ面積を調査確定する。
  • (3) 対象面積を民有地、非細分地、国県有地の別に仕訳する。
  • (4) 賃借料及び取得費(買収費)の基礎となる民有地面積の確定後、その概算額を積算する。

(三)参考事項

軍道潰地の評価並びに面積の確定等の作業に従事したが、以下作業内容と問題点は左記のとおりである。

  • (1) 土地の評価について
    土地の適正な評価のためには、道路沿線の売買実例を基礎とするとともに、銀行評価及び最高借賃安定法に基づく最高借賃(甲表)を考慮に入れて決定する必要があり、(この限りにおいて、基本的には土地連の要求の姿勢と同一である。)これらについての調査は次のとおりである。(「詳細な記述、計数等」は省略する。)
    ア 売買実例の調査
    イ 銀行評価の調査
    ウ 最高借賃安定法に規定する最高借賃に基づく関係市町村の賃料の調査
  • (2) 土地の現況の把握と査定
    ア 現況の把握と地目の決定
    イ 土地価格の査定
    (ア) 売買実例調査資料の経過年数に応じた修正率
    (イ) 市町村間の均衡
    (ウ) 土地の評価にあたって考慮すべき点
    ①宅地の等級区分と宅地見込み地の評価
    ②開発状況
    ③施設庁の土地評価との関連
    (エ) その他、特に考慮すべき点(土地の時価×〇・七=相続税評価額に〇・〇四を乗ずること)
  • (3) 土地の面積について
    ア 施設外道路(両側民間地域)
    イ 施設内道路(片側又は両側が基地)
    ウ 土地の面積算定
    エ 今後の問題点

2、軍道潰地の評価方法

借地料の算定にあたっては、まず軍道潰地の適正な評価価格を求める必要があったので、軍用道路附近における土地の銀行評価価格、取引事例、固定資産税の指示基準価格を調査するとともに、現在軍道潰地に支払われている最高借賃安定法による支払賃料、数回にわたる現地の状況調査の結果、市町村間のバランス等を総合的に勘案して決定した。

この際、地目査定にあたっては、土地台帳上の地目にとらわれることなく、軍道附近における現状(評価上の地目)によることとし、単価査定にあたっては、この地目別をさらに次の等級区分によりおおまかに地区割りし決定した。

  • 1等級 当該市町村間における地価の階層別状況から判断して最も高いと認められる地域に属する土地
  • 2等級 当該市町村間における地価の階層別状況から判断して最も標準的であると認められる地域に属する土地
  • 3等級 当該市町村間における地価の階層別状況から判断して最も低いと認められる地域に属する土地

この等級区分は、標準的な区分であり那覇市等この等級区分により難い市町村においては、等級区分をせず、またはより細分した等級区分を使用し、施設附近を通過する道路については、施設(米軍基地)の借地料をも考慮している。

3、借地料等の算定方法

土地の評価格から借地料を算定する方法は沖縄県の現行方法を含め幾通りかあったがこれら各種方法のうちから、最も適正と思われる相続税財産評価格から算定する方法(土地価格×〇・七×〇・〇四)によることとした。

また、本土における借地料の算定時に参考とする「建設省の直轄の公共事業の施行に伴う損失補償基準の運用方針 第八:土地の使用に係る補償」に基づく算定方法(土地価格×〇・〇六)によるものも対比のため併記した。
以上の結果、借地料(概算額)として一〇億五、〇九一万円(三〇六円換算)の予算措置が講じられた。

地主交渉、ようやく妥結

当初の交渉において、各市町村地主会等の対応に厳しいものがあったが、交渉を重ねることで全面的な協力が得られるようになり、復帰の日までに、契約又は使用承諾書を交換することができたことは特筆してよいのではないか。
また、短期決戦というか限られた期限内の、猶予のない作業を少数の職員が「日に夜を継ぎ、休日も祭日もない状況」の作業により、その成果を得たのである。

その結果、関係地権者:一万、二四三人、一万四、八六八筆、一〇七万七三四坪余、賃借料:一〇億五、〇九〇万九、九五七円(約一〇億円)の成果(国道及び県道別)を得たのである。

金額にして、国道分七五パーセント(七億九、〇九八万九、〇〇〇円)、及び県道分二五パーセント(二億五、九九二万円)である。

六 潰地補償(買収)が完了

結論から先に言うと復帰から三十二年を経た現在、沖縄の「未買収道路用地(軍用道路、琉球政府道潰地)」は、その九九パーセントの補償(買収)が完了し、終息宣言してもよいのではないかと関係者の一人として感慨無量である。末尾の「経緯表」(「別表第7」)を参照していただければ判るように「軍道潰地」と「琉球政府道潰地」の区分けが、不本意ながらできなかったことが心苦しく、残念である。

三〇年間における事業執行の経緯を見るに、復帰時における大きな法制度の変遷、組織改革、予算執行体制、補償基準の未確定等々の問題もあり、復帰時一九七二年度(昭四七)から一九七五年度(昭五〇)(海洋博終了時)までは、その処理実績は決して芳しいものではなかった。

例えば、国(沖縄総合事務局)においては一九七二年度(昭四七)の買収費の全額(一三億七、八四三万一、〇〇〇円)を翌年度に、一九七三年度(昭四八年)の買収費の一部(九億一、八一五万六、〇〇〇円〈約九一パーセント〉)を次年度に繰り越すという苦しい対応を迫られていた(「別表第8—1、2」参照)。

沖縄県においても大同小異であった。琉球政府道潰地が、県下の全市町村に散在すること、琉球政府の補償基準で既に、四〇パーセント以上の買収実績があり、それとの整合性等々の問題もあり、軌道に乗るまでには相当の紆余曲折があった。

潰地の補償問題は、復帰当時の副主席であった宮里松正氏の「復帰二十五年の回想」の中から参考になる部分を抜粋して掲載、当時の問題点なりを検証することとする。

『道路潰地問題/本島全域に及ぶ明け渡し訴訟の動きも道路潰地/やっと国負担で振計予算で順次処理』

復帰の際の個別問題に、「長い間、懸案になっていた、道路潰地問題を、どのように処理するか」ということがあった。

沖縄は、沖縄戦で米軍に占領されて以来、米軍の占領支配から引き続き米国の施政権支配下に置かれ、その間に、さまざまな問題が起こった。この道路潰地問題は、その典型的な事例の一つである。

沖縄の復帰前の道路のうち、幹線道路の大部分は、米軍が軍用道路として建設したものであった。しかも、米軍は、これらの軍用道路を建設するにあたって、用地を買収することなく、これを強制的に接収した上で、ただ賃借料を支払っているだけであった。その際、米軍が行った強制手続きは、極めて強引、かつ、独善的なものであったから、復帰後は、日本国憲法第二十九条以下の関係法令に照らして、その効力を維持することができるかどうか、極めて疑問であった。

一方、これらの軍用道路は、長い間、県民のためにも供用され、その沿線には、民間の住宅、商店街、小中高校、市町村役所などがあったから、それを直ちに地主に返還するというわけにもいかなかった。そこで、復帰の際には、「公用地暫定使用特別措置法」に基づいて、それを五年間に限って、道路として使用することができるようになった。

だが、この道路潰地は、地主に返還される見込みはなかった。公用地暫定使用特別措置法が道路としての使用期間を五年間に限定したのは、その間に新たな使用権限を合法的に取得するという趣旨であって、その間にそれを地主に返還するという趣旨ではなかった。

この道路潰地は、沖縄本島の全域に及んでいて、その総面積は、実に広大なものであった。しかも、それは、米軍が建設した軍用道路だけではなかった。それは、民間の市街地の中や住宅街の中にもあった。

沖縄の戦後の市街地や住宅街は、占領軍の占領管理下で形成されたものが多く、これら地域では、地主の権利に対しては、何ら考慮することなく、ただ占領軍当局の指示だけで、市街地や住宅街がつくられた。そのために、そのような街づくりの過程で、自然発生的に、市街地や住宅街の中に、道路潰地が発生した。しかも、これらの道路潰地については、それ以来、賃借料などが全く支払われていなかった。だから、これらの道路潰地問題をどのように処理するかということは、長い間の懸案になっていた。

米軍が建設した軍用道路については、米軍から軍用地料が支払われていたから、地主たちの中にも、特段の動きをする者がいなかった。だが、市街地などの中にある道路潰地については、地代を支払われていないことを理由に、実力で道路の閉鎖を試みたり、あるいは明け渡しの訴訟を提起するなど、地主の間に、さまざまな動きが見られた。だから、この道路潰地の問題は、復帰の際に、ぜひとも根本的な解決を図らなければならなかった。

琉球政府は、そのような見地から、本土政府に対して、再三にわたって、この道路潰地問題の根本的な解決を要請した。
本土政府の関係省庁は一定の理解を示しながらも、それには、巨額の資金が必要であったこともあって、「国道だけならともかく、県道や市町村道の用地費は、本来、県や当該市町村が負担すべきではないか」とか、あるいは「地籍が明確でないから、現時点では、補償措置の講じようがない」などといって、なかなか首を縦に振ってくれなかった。

だが、この道路潰地問題は、もともと占領軍の占領管理や米国の施政権行使に由来するものである。そうだとすれば、それは、間接的には、国が戦争を始めたことと、米国に施政権を付与したことに起因しているのである。

しかも、その借地料や売買代金を県や市町村が負担するとすれば、県や市町村は、それだけで財政上、耐え難い負担を強いられることになる。だから、それを解決するための補償費用は、何としても、国に負担してもらわなければならなかった。
私はそう考えて、再三にわたって、本土政府(総理府や沖縄開発庁)に、そのことを要請した。その結果、最終的には、国道と県道については、十分の十、市町村の幹線道路については十分の八を国が負担して処理し、市町村の「その他の道路」については、国と県と当該市町村が三分の一ずつを分担して処理することになった。

復帰後、国は、第三次振興開発計画の前半までに、総額五兆数千億円の振興開発資金を投入して、沖縄の振興開発計画を推進してきた。その結果、沖縄の道路は、港湾、空港、水資源ダムなどとともに、質量ともに大きく充実発展した。
国は、この振興開発計画を推進するにあたって、第一次振興開発計画から第二次振興開発計画までは、全振興開発資金の約三分の一を道路予算に投入してきた。この期間は、復帰直後に定められた方針に基づいて、道路予算の中に、道路潰地の買い上げ予算を計上しなければならなかったからである。

この道路潰地問題は、このように復帰直後に定められた前記の方針に基づいて、毎年道路予算の中で順次処理されてきた。その結果、復帰してから二十五年を経た今日では、ほぼ解決されている。それが、国の負担で処理されなかったら、今ごろは、どうなっていたであろうか。それを思うと、感慨無量なるものがある。

この道路潰地の補償方法については、地主間の公平を期するために、交付国債を発行して、復帰の際に、一挙に解決するという方法も考えてみた。だが、復帰の際には、まだ地籍が明確になっていなかったので、それを断念した。そのために、補償措置に長い期間がかかり、地主の受け取る補償額にも、随分差ができてしまった。

振り返ってみると、復帰時に策定した潰地買収費五〇三億円(軍用道路及び琉球政府道)が、平成三年度の最終見直し(途次六回の「見直し」)において四倍強の二、一五二億円になって完成に向かい、平成十五年度末には二、一二三億円(九八・七パーセント)の実績を見ているのである(「別表第9」参照)。

残件については、不動産固有の問題(筆界未定、相続関係、居所不明、民事紛争等々)があって画一的には処理できないであろうが、関係者の協力を得て、近々に完成するであろう事を祈念するものである。

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