一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)
沖縄の軍用地に関する問題解決、地主の財産権の擁護及び福利増進を行っています。
第二節 講和発効前損失補償問題の経緯
一 補償問題の提起
一九五二年(昭二七)四月二十八日、「日本国との平和条約」(講和条約)の発により、約七ヵ年に及ぶ米国の占領は終し、日本は完全な主権国として、国際社会に復帰することになったが、同条約第三条にもとづき、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)などは、合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくことが定められた。そのため米国は、沖縄の行政、立法及び司法上の権力の全部を行使することになった。
さらに、日本国は、同条約第十九条により、連合国に対する日本国民のすべての請求権を放棄した。すなわち「戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。」ことが定められた。
したがって、沖縄における講和条約発効前の米軍による数々の不法行為等の被害,損失に対する補償要求は、同条約第十九条を根拠に拒否されてきた。これがいわゆる「講和前補償問題」であり、沖縄における大きな問題として提起されるようになった。
ところが米軍は、講和発効後においても、布令、布告を乱発し、軍用地の新規接収や、地料の一括払い等、新たな基地政策を強行して行ったため、当面する緊急な軍用地問題の解決を優先することとなった。
一九五五年(昭三〇)五月、軍用地問題解決の「四原則貫徹」を掲げて、比嘉秀平行政主席ら六名の住民代表が渡米した際に「講和前補償問題」についてもその附帯事項として、米陸軍省民事軍政局長ウィリアム・マーカット少将に沖縄の事情を訴え、その解決方を要請した。
これに対しマーカット少将は「日本国及び日本国民は、平和条約第十九条の規定によって、如何なる請求権も放棄したことになっているので、日本国民である沖縄の住民も当然、損害についての補償の請求はできないし、また米国としてもその責任は負えない」旨回答した。
さらに、マーカット少将は、同年六月七日、米下院軍事委員会において同様の証言を行い「講和前補償」について、考慮の余地のないことを次のように明らかにした。
対日平和条約において日本は、米国に対する国民の戦時賠償請求権をすべて放棄している。したがって、琉球人は、一九五二年四月二十八日前の土地使用に対して、米国に補償を請求する何らの法的根拠を持たないわけである。琉球の現状は、平和条約第三条に由来するものであり、本条において日本は、米国に対し「領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して行政、立法及び司法上の権利の全部を行使する権利」を認めている。
一連の要請を終えた渡米折沖団一行は、ワシントンからの帰途、東京に立ち寄り、同年六月二十五日、鳩山一郎内閣総理大臣を訪問、同席した根本龍太郎官房長官、石井通則総理府南方連絡事務局長、吉田嗣延第二課長(沖縄出身)らに渡米折衝の経過を報告し、軍用地問題の解決について日本政府の協力と援助方の要請を行った。
さらに、その際「講和前補償」についても「米国側は平和条約による請求権放棄を理由に、沖縄におけるあらゆる損失補償を拒否している。
請求権を放棄した日本政府の責任において適切な補償措置を講じるきである」と鳩山総理大臣に直接要請した。
鳩山総理は、この要請に対し「分かりました」と答え、根本官房長官のもとで直ちに、検討するよう指示された。
渡米代表団の一員である桑江朝幸土地会長は、吉田嗣延氏のアドバイスもあって、一週間程度東京に居残り、本土における補償業務の実情を調査し、調達庁(のちの防衛施設庁(現・防衛省))の補償要綱、補償実例集などの参考資料を収集して、代表団より遅れて同年七月六日に帰任した。
これまで「軍用地問題四原則」の貫徹運動のかげにかくれていたかの感じがあった「講和前補償問題」については、土地連においても、解決促進を図るべく、早速、総会の決議を経て日本政府への要請を開始することにした。
折しも、一九五五年(昭三〇)十月、池原新蔵土地連副会長が、靖国神社秋の慰霊祭に遺族代表として上京することになったので、政府関係者への要請を託すことにした。池原副会長は、淵上房太郎代議士(元沖縄県知事)、南連の吉田嗣延第二課長の案内で、衆議院外務委員会、大蔵委員会及び総理府、大蔵省等に要請を行った。
特に淵上代議士は、根本龍太郎官房長官、重光葵外務大臣、益谷秀次衆議院議長の了解のもとに「沖縄問題懇談会」を設置して窓口にしようと、池原副会長に約束するなど、日本政府においても「講和前補償問題」の解決に積極的な姿勢が示されるようになった。
土地連においては、調達庁の調査様式を雛形として、琉球政府法務局、沖縄市町村長会の協力のもとに、講和前損失補償の全琉的な調査を開始した。調査業務は法務局の指導により各市町村が担当したが、調査項目が土地、物件、漁業補償など約二〇項目におよぶことから、相当な煩雑さをともなうものとなった。
しかし、関係者の努力によって一九五六年(昭三一)三月上旬、二ヵ月余の短期間で大部分の市町村が調査を終了した。その調査による補償請求額は次のとおりである。
補償請求総額
- 一七一億六、三三三万八六一円
内訳
- △土地(農地及びその他)
一二〇億八、七五四万五、四九九円 - △物件(建物、墓、石垣、立木竹等)
二五億七、五一四万七、三五〇円 - △その他(移転費、復元費、漁業権等)
一三億六三万八、〇一二円 - △追加分(伊江村外三ヵ村)
一二億円(推定額)
補償請求総額(一七一億六、三三三万八六一円)が決まったことから、沖縄市町村軍用土地委員会連合会(会長・桑江朝幸),沖縄市町村長会(会長・吉元栄真)、沖縄市町村議会議長会(会長・伊礼正幸)の連名による陳情書を作成し、一九五六年(昭三一)三月二十一日、桑江土地連会長ほか五名の代表が上京、次の内容の陳情書を日本政府および国会あて提出した。
昭和二十年八月終戦から昭和二十七年四月講和条約発効までの七ヵ年の間における米軍進駐による強制使用によって蒙った沖縄住民の財産上の損失については、未だ補償せられずそのままとなっており、一四万三千世帯、六三万人余にのぼるといわれる同胞は、今日尚、更生の余力なく悲惨な生活におい込まれている。
よってこの際、母国の国会ならびに政府の温情ある御配慮をいただきたく、ここに沖縄全同胞を代表して陳情する次第である。
(理由)
沖縄は、米軍の強力なる米軍基地として現在、全面積の一二・七パーセントが軍用地として接収され、しかもその四四パーセントに相当する土地は農地である。
そのため農業を生産業としている沖縄では、農業は勿論のこと其の他の産業も萎靡し住民は日に日に困窮の一途をたどっており、この問題は今や住民の死活を左右する重大問題となっている。
講和条約発効後の米軍接収地域に対しては、その補償額がはなはだしく適正を欠き、極めて低廉なるため住民の大きな不満をかっておる実情である。
しかるに米国は、講和条約発効前の約七ヵ年間の補償に対しては同条約第四条B項、第十九条による日本の請求権放棄の理由をもってはっきりこれを拒否しているので、この補償に関する処置は、もはや母国にお願いするよりほかに途がないのである。
御承知のとおり、母国の各都道府県においては、すでに昭和二十年勅令第六三五号ならびに進駐軍の用に供する土地等の損失補償要綱により、われわれが蒙っておるのと同様の損失に対してそれぞれ適正なる補償が行われているが、われわれ沖縄にも本土各都道府県と同じく母国の恩恵が与えられるよう、特別の処置を懇願する次第である。
さらに、同内容の陳情書を一千部作成し、補償請求総額の具体的な参考資料を添え衆参両院議員全員と関係大臣に送った。
このような沖縄側からの要請に対し、自民党内では淵上房太郎衆議院議員が中心となり、沖縄に関心をもつ衆参両議員一〇名余が「沖縄問題懇談会」を設置し、総務会、政務調査会、外交調査会において本問題をとりあげるよう働き掛けるほか、社会党においても沖縄出身の島清参議院議員ら数人の衆参両議員らが積極的に問題解決に向けて活動を開始した。
こうした協力者のバックアップによって一九五六年(昭三二)四月二十三日、まず参議院が沖縄側の諸願書を受理、同年五月十二日には衆議院がこれを受理し、同月十八日衆院外務委員会において、桑江朝幸(土地連会長)、比嘉秀盛(市町村長会顧問)真栄城守行(土地連顧問)の三氏が参考人として出席し、「講和前補償問題」について開陳するなど、ようやく国会の反応が表面にでてきた。
そして一時、本問題の処理に消極的であった総理府においても、同年五月三十日に陳情書を受理し、正式に検討され始めたが、沖縄側から提出された補償請求総額「一七一億六、三三三万八六一円」は、昭和二十年勅令第六三五号並びに昭和二十七年閣議決定「進駐軍の用に供する土地等の損失補償要綱」による基準で算出し直し「一六九億七、二八五万四、〇八七円」に修正された。
その間、陳情団五名は東京に滞在し、各方面への折衝に当ったが、南方同胞援護会(会長·渋沢敬三)、沖縄問題懇談会(会長長・淵上房太郎)、沖縄土地問題解決促進委員会(会長·伊江朝助)などの支援団体が強力に推進したこともあって、翌三十一日には衆院外務委員会で、軍用地接収問題と講和前補償問題が取り上げられ、次のとおり決議が行われた。
終戦後すでに十年を経過した今日、沖縄はなおアメリカの管理下におかれ、八十万同胞は物心両面の苦難にあえいでいる。すなわち、人権が軽視されがちであるのみならず、軍用地接収についても遺憾の点が少なくない。政府は平和条約発効前の土地等の補償についてはすみやかに実情調査の上、必要な国内的措置を講ずるとともに、アメリカに対しては沖縄及び小笠原の施政権回復に適宜折衝を進むべきである。
ついで同年六月一日には、衆院内閣委員会が「沖縄の軍用地接収地の補償および元県有給官吏の恩給などに関する決議」を全会一致で可決、翌二日の衆院本会議でも同様な決議がなされて沖縄問題が超党派的にクローズアップされた。
しかし、その後の日本政府の対応は、同補償問題に対する関係省庁の見解の不一致などがあって進展がみられず、補償措置の方針も決まらなかった。このため沖縄では政府、国会への要請をさらに強力に推進すべきであるとの声が高まり、同年九月、沖縄市町村長会、土地連による請願書を政府および国会に提出して補償の促進を訴えまた、同年十月には、軍用地問題で与儀達敏立法院議長ほか代表団一行が上京し「講和前補償」の早期解決を要請したが、これに対する日本政府の回答は「①沖縄の地位を定めたサンフランシスコ平和条約第三条の解釈はまだ必ずしも一定していない。②沖縄住民の要求をとりあげることは他の戦争犠牲者との関係から適当であるかどうか。③一七〇億円という額は現地側が一方的に算出したもので適当であるかどうかまだ分からない」というものであった。(琉球新報一九五六年十月二日)
二 補償問題に対する日本政府の見解
講和発効前の沖縄住民の補償請求に対する日本政府の見解は、国会答弁によれば、「講和前補償」について、日本政府は法的責任はなく、それは施政権者である米国によってなされるべき旨主張しているが、その法理論については明らかでなかった。
しかし、非公式であるが、一九五六年(昭三一)に根本龍太郎官房長官によって用意された文書では、平和条約第十九条にいう"日本領域"に沖縄が含まれず、また同規定にいう"国民"に沖縄住民が含まれないと断定することは困難であるという前提に立ちつつ、
①日本国が外交上の保護権として沖縄住民の損失補償を米国に対して請求することには問題がある
②日本国としても、講和前の沖縄は行政分離されており、沖縄住民の土地の使用料等については関知していないし、講和後においても米国が施政権を行使しているので、日本本土同様に補償する責任はない
③米国は施政権者として沖縄住民の福祉向上に責任がある。したがって、米国がその責任を果たさないなら、沖縄住民が日本国籍を保有する関係から、日本国が平和条約第十九条による外交上の請求権を放棄していても、米国の責務の遂行を要請する必要があるとしている。
その後、さらに、大蔵省見解として、球政府行政主席からの照会に関し、大蔵主計局長から総理府南方連絡事務局長あて一九五七年(昭三二)八月二十三日付文書によって、日本政府に法的責任がなく、米国にある旨の法理論を明らかにした。
同文書において、大蔵省は文理上、条理上、論理上又は立法趣意からいっても平和条約第十九条(a)項は沖縄に適用なく、仮あるとしても、沖縄住民は米国に対し補償請求権を失っていないとし、米国政府は法律上、行政上支払責任があると主張した。
ところが、同年十二月十一日、外務省は総理府南方連絡事務局長に対し、大蔵省の見解とは全く反対の非公式見解を示した。
次に、その外務省見解の要旨を紹介する。
1、平和条約第十九条(a)項の規定は沖縄に適用がある。
平和条約にいう日本国領域は、すべて同条約の規定において、同条約の発効後の日本国領域としてみられるものをさすと解すべきである。沖縄地域は、平和条約によって、わが国が領土主権を失った地域ではなく、それは当然に"日本領域"に含まれる。沖縄が平和条約発効の前後を通じ、わが国の領域であることに変わりがないというのが、わが国の基本的立場である。
2、また、平和条約第十九条(a)項は、国民の請求権を放棄している。
- (1) この点について東京地方裁判所の昭和二十九年(第九〇〇四号国家賠償請求事件の、昭和三十一年八月二十日判決に「平和条約第十九条(a)項はわが国及びわが国民のすべての請求権を放棄する趣旨であると解すべきである。(中略)前記放棄される権利いわゆる国の外交保護権と国民の個々の権利とを包含することは明らかである」と判示したことを根拠とし、なにゆえわが平和条約のみ例外を設け、外交保護権放棄、私的請求権存置という、前例をみない奇怪、かつ複雑な制度を制定したと解すべきであるか、全く理解に苦しむところといわなければならない。
- (2) 国際関係において、その処理が重要であれば、国はいかなる問題についても、いわゆる国に固有のものであっても、また本来個人に属する問題であっても、これについて他国との間に条約を締結することができる。
- (3) さらに、ヴェルサイユ条約やイタリア平和条約に、たとえば「イタリア国政府又はイタリア国民のために」という字句があるに反して、わが平和条約にはかかる字句はないとする論があるが、わが平和条約の仏正文には、正しくかかる字句が存在する。
- 3、なお、本件についての日本政府の責任に関する所論において「政府が放棄したのは国自身の国際法上の権利であって、私権たる日本国民の財産権そのものではないのであるから、日本国憲法の規定上補償の問題は発生していない」という見解があるが、国が放棄したのは、まさしく私権たる日本国民の財産権を含むとする前記東京地裁の判決は正当な解釈であると思う。かかる条約締結によって国が如何なる責任を負うかという問題は、本質的には国内法上の問題であろう。
(昭和48年『沖縄時報』沖縄白書総集版)
三 日本政府、見舞金支出を決定
自民党政務調査会と総務会は、一九五七年(昭三二)三月九日、沖縄の「講和前補償問題」について、国会での請願採択もあり、道義上も沖縄住民の窮状を無視するわけにもいかないとの配慮から、沖縄へ"見舞金"を検討、総額一一億円とすることを決定した。
その内訳は、
①講和発効前の土地補償関係一〇億円、
②外地引揚者関係八、〇〇〇万円
③元県有給吏員の恩給関係二、〇〇〇万円
となっている。
同年三月十八日、衆議院予算委員会に、一般会計予算補正第二号として「沖縄関係特別措置費、一一億円」の新規計上が提案された。これに対し、社会党から三〇億円の組み替えが要求されたが、結局、同月二十二日、昭和三十一年度一般会計予算補正第二号が原案どおり可決成立した。
この補正予算を計上したことについて、池田勇人大蔵大臣は次のように説明している。
「日本政府の考え方としては補償の責任はない。米国側においてやるべきものだと考えている。一〇億円出すことにいても、外務大臣から米国政府にはっきり通告している。米国のかわりに出すというのではない。日本国民に対しての日本政府の志である。また見舞金は個人に出すことになっている。」
すなわち、一一億円のうち、一〇億円の舞金は、将来、沖縄住民が米国から損の補償または見舞金等を受けることになった場合は、一〇億円に相当する額を国庫に返還または帰属せしめるという条件がついていた。
一九五七年(昭三二)五月八日「沖縄住民に特別に割り当てられた資金の交付方法」が次のとおり閣議決定された。
- 1、補正予算に組まれた一一億円中、一〇億円は、対日平和条約発効前、米軍隊による土地接収を蒙った沖縄の住民に対する見舞金として支出し、残額一億円中八、〇〇〇万円は、戦後海外から引揚げてきた貧困な沖縄人に対する特別支出金として計上し、二、〇〇〇万円は、元沖縄県庁の恩給法による受給資格者に支払う事にする。
- 2、一〇億円の見舞金について、受給資格、支払額の計算方法、支払手続等の細部に亘っては、総理大臣が「沖縄接収地への見舞金処理委員会」の提案を基にして、大蔵大臣と相談のうえに決定することにする。
- 3、総理大臣は、委任状で以て各受益者を代理する権利を有する受給者代表に見舞金を交付する。
- 4、貧困な引揚者及び元沖縄県官吏に対する特別資金の受給資格、支払額の準、支払方法等は「引揚者への再建資金処理委員会」及び「元沖縄県官吏への恩給処理委員会」が提出する案に基づいて、総理大臣が大蔵大臣に諮って決定する。
- 5、前項に示す特別計上資金は第3項の規定する方法に準じて支出される。
- 6、沖縄人が蒙った損失に対する補償を米国から獲得出来た場合は、第1項の規定のもとに日本政府が支払った前記見舞金に相当する金額を国庫に返すか又は属するようにすること。
以上のような経緯によって沖縄の講和前の損失補償に対する日本政府の見舞金一〇億円の支出措置が決定された。
沖縄においては、一九五七年(昭三二)四月十五日、琉球政府、市町村長会、土地連、議会議長会の四者からなる「軍用土地見舞金処理委員会」を結成し、政府及び三団体から、それぞれ三名の委員を選出して、計一二名の委員による運営方針を決め、市町村長会長の吉元栄真氏を委員長として発足することになった。
このようにして受給態勢も整い、正式支出の段階になって米国民政府が「土地連が処理委員会に参加するのは妥当でない」と難色を示したため、事態は紛糾するかに見えたが、処理委員会で協議の結果、見舞金支出に努力してきた土地連を除外することは承服し難いが、この際、止むを得ないとして、処理委員会のメンバーからはずすこととし、その旨日本政府総理府あて連絡した。
よって、一九五七年(昭三二)九月九日、日本政府からの見舞金一〇億円は、処理委員会(委員長・吉元栄真)に一括交付された。同見舞金については、一九五八年(昭三三)一月二十五日、土地連において開催された全島受任者会議で「旧正月に間に合わせるよう各市町村を通じて該当者に支給する」という方針にもとづき、支払いを完了した。
四 補償獲得期成会の結成
日本政府よりの見舞金一〇億円の支払いを完了し、見舞金処理委員会は解散したが、その頃、軍用地料の一括払い、新規強制土地接収に反対する、いわゆる「軍用地四原則問題」は、民意を無視した米国民政府の強行策によって日に日に粉糾し、多くの住民やあらゆる団体が「四原則貫徹」に向かって猛運動を展開していた。
土地連では、地主個々に対する民政府側からの一括払い受託の働きかけに対処するため、一九五八年(昭三三)一月二十五日に全島受任者会議を開催し、一括払い反対の意思を再確認するとともに、その席上、「講和前補償」についても、更に強力な獲得運動を推進すべく、次の事項を決定した。
講和発効前の見舞金について講和発効前の補償要求額一七〇億円(日円)を獲得するには、少なくとも三カ年を要するとみて、そのための諸経費として見舞金(一〇〇円以上)から二パーセントを徴収する。
講和発効前損失補償獲得期成会の結成について
補償金要求額一七〇億円は、当然獲得する権利のものであることから、市町村長会、土地連が一体となって「講和発効前損失補償獲得期成会」を結成する。市町村長会や土地連は会長が代わっても、期成会会長は、補償獲得まで継続し、強力な運動を展開する。
一括払いに対する方針について米琉親善の線で軍用地問題を円満に解決することが、現在の混乱した政局を安定の方向に収拾するため、もう一度、当間重剛主席や民政府が多数地主の意見を民意とするよう折衝する。また、銀行が営利政策で一括払い受け取りを勧誘している動きがあるので、そういうことがないよう協力を求める。
全島受任者会議で決定されたこれらの方針にもとづき、一九五八年(昭三三)三月十九日、沖縄市町村会、市町村議長会、土地連の三者を一体とした「講和発効前損失補償獲得期成会」(以後「補償獲得期成会」という。)が結成され、会長に渡慶次賀善(市町村長会長代行)、副会長に安次富信雄(市町村議会議長会長)と桑江朝幸(土地連会長)が選出された。
結成大会には、参加団体の代表ら一〇〇人が出席した。会則では、目的を「沖縄における対日平和条約発効前の米軍使用に伴う土地等の損失補償を獲得すること」とし、次の事業を決めた。
- 1、正確な調査の実施(先の資料の厳密なる再調査及び未申請者の調査)
- 2、資料の作成(必要であれば英訳)
- 3、東京等における協力者との緊密なる連絡
- 4、南方同胞援護会への協力要請
- 5、日本政府等に対する強力なる折
- 6、その他目的達成に必要なる事項
補償獲得期成会は、発足と同時に活動を開始し、同年四月一日、渡慶次会長、安次富、桑江副会長が空路上京、日本政府並びに米国大使館に「講和発効前の補償について」の請願書を提出し、同問題の解決促進を訴えた。
五 へメンディンガー弁護士への委嘱
補償獲得期成会の設立に先立ち、南方同胞援護会では、一九五七年(昭三二)十一月、淵上房太郎副会長を団長とする役職員五名が渡米して、講和前補償問題を含む沖縄の軍用地問題について米国議会、政府その他関係筋と折衝、懇談を行った。その際、在米日本公館筋の協力と推薦を得て、米人弁護士に講和前補償問題に関する対米折沖活動を委嘱することを内定した。
帰国後、日本政府筋の了解を得て、一九五八年(昭三三)五月八日、ワシントン在の弁護士ノーエル・ヘメンディンガー氏と弁護委嘱契約を正式に締結した。
沖縄においてはこの頃、一括払い阻止、新規接収反対などのいわゆる「四原則貫徹」の運動は、ついに"島ぐるみ闘争"に発展し、重大な局面をむかえていた。事態の収拾のため、同年六月十日、当間重剛行政主席、安里積千代立法院議長、与儀達敏民主党総裁、桑江朝幸土地連会長、渡慶次賀善市町村長会副会長、赤嶺義信法務局長の六名が渡米したが、一連の折衝を終えた同年七月七日に、渡慶次、桑江の両氏は、補償獲得期成会の正副会長としてへメンディンガー弁護士に会い、ワシントンにおける講和前補償獲得についての請願活動を依頼するとともに、今後の折術方針などを打ち合わせて帰国した。
同年八月十七日、ヘメンディンガー弁護士が沖縄での現地調査と打ち合わせを行うため東京に立ち寄った際に、南方同胞援護会では同氏を招いて、総理府、大蔵省、外務省、調達庁関係筋と協議を行い、問題の経過、これからの活動方針等について検討した。
さらに、同弁護士は、九月六日に東京より来沖し、米軍による沖縄の損害実態を調査したが、特に、人身関係の悲惨な事件が放置されたままになっていることに大きなショックを受け「人道上からも米政策は許せない。これは米国人としても恥ずかしいことである」と感想を述べるとともに、同補償問題の早期解決に全力で取り組むことを約束して帰国した。
同年十二月十九日には、補償獲得期成会の代理人として、国務、国防両長官あて「講和前補償に関する米国政府への請願書」を提出した。同請願書の要旨は次のとおりである。
琉球列島の施政にあたり、米軍の使用した土地に対する補償は、米合衆国が直面している最も重大な問題である。幸いにして、講和後の主要補償問題については、現在、意見の一致をみているが、講和前の米軍占領期間(一九四五年〜一九五二年)の補償問題がいまだ残っている。
ここ数年この問題は、講和発効後の土地計画問題のため、明るみに出されなかったが、決して忘れられたものではない。
講和前補償請求総額は、七万八、〇〇〇件の個別補償請求(クレーム)を基準として、四、七〇〇万ドルに相当するものと計算されているが、決定的算定はまだ出されていない。
琉球列島は、沖縄戦終結の日以来、日本政府から完全に分離され、米軍統治下に置かれた。講和条約当時、米国の政策は、一九五〇年七月一日前に使用された琉球の土地に対して、米経済援助による現地通貨から支払を行うこと、並びに一九五〇年七月一日以後使用された土地に対して、予算に組まれた資金から支払を行うこと等であった。
しかしながら、一九五〇年七月一日前の補償が施行されたことはなく、又一九五〇年〜一九五二年の補償は、極めて不十分な基礎にもとづいて施行された。平和条約交渉期間中、あるいはそれ以前においても、日本に講和前の請求に対する責任を負わす措置を講じた試しはない。
地主が講和前期間の正しい賠償請求権を有していることは、ひろく認められており、講和後の土地問題が解決されている折、同未解決問題にいま集中すべきである。
破壊され、耕作適正を失った土地の地主などは、地料も経済報酬も受けていないし、忘れ得ぬ苦情を抱えている。単なる正義と道義の点から、早急な講和前補償問題の解決が要求され、その解決は琉球における米国の政治、経済にとって役立つものである。
一九四五年以来、同島の排他的管理を行使し、かつ主張する統治者として、米国は解決への責任を免れない。地主側の要求は、米国自体が適切な補償を行うこと、それができなければ、米国が日本を説きふせて補償させよということである。
米国は、日・琉間の完全なる施政上の分離を主張していながら、法的責任を回避するため、平和条約第十九条に頼って、日・琉間にいかなるとりきめを行っても沖縄人の勝手だというが、この米国の政策は、米国にとって法的に不合理であり、また政治上も不得策である。
日本の主権行使に関する限り、平和条約第三条は、講和発効前の状態を純然と永続したものである。もし米国が、第十九条の適用を支持するとなると、これまで一貫して、日本の「潜在主権」に対し譲与する準備をした以上に、日本の「潜在主権」に大きく譲与すべきである。現在米国は、我田引水に陥っている。つまり、琉球住民は、日本政府に頼ることを禁じられながら、講和前補償問題については日本政府と交渉するようすすめられている。したがって法的立場について、もっと詳細かつ首尾一貫した努力をする必要がある。
しかしながら、早期解決には法的処理方法だけでは疑わしい。というのは、国際法における琉球の変則的な地位(米国は排他的統治権を握り、日本は潜在主権を持つ)は、法律と法律が対立する傾向をもっている。かかる状況から要求されるものは、外交手段であり、また政治、経済的現実に対する実践的な調停策である。可能な解決策には、米議会による新資金の計上、あるいは米国の要請で日本による全責任などがあげられる。占領期間における問題に解決が見出せないことはない。米国が解決策を見出す責任を拒否すれば、解決は不可能であり、その半面、米国がそれを引き受ければ解決はいたって簡単である。
沖縄戦が一九四五年(昭二〇)六月に終結すると、米国は直ちに同年七月一日、ニミッツ布告を公布し、日・琉間の全関係を断った。この日本からの分離は、ポツダム宣言及び降伏条件などに包含された国際政治的決定の履行となったものであり、講和解決を前もって示したものである。したがって日本の降伏以来、琉球は事実上、米戦略信託統治下におかれてきた。琉球の地位を正式に変更する条がないので、軍占領を統制する国際法の原則は(事実適用できる限り)存続した。しかしながら、なお一層、明白な法的義務が米国にあるようにみえる。すなわち、それは米国憲法の付加条項第五条に示されている「正当な補償なしで、公用のための私有財産取得を防ぐ保証」というものである。
この条項は、解放されたオーストリアで、米国による一アメリカ市民からの私有財産取得に対し適用された。この権限は、講和発効前後の沖縄における米国の私有財産取得にも適用できる。少なくとも、かかる取得は、対日戦争とは無関係でなければならない。ともかくどんなことがあっても、日本の主権を停止した軍占領者としての米国は、土地収用に対する支払いを見届ける十分な責任を引き受けたのである。
講和条約発効前、米国政府から指名をうけていた連合軍最高司令官にとって、日本に要求して、沖縄における米国土地収用に対して補償させることや、その目的で資金を支出させることは可能であったはずだが、このようなコースは、かつて考慮されなかった。その理由ははっきりしている。
もし米国が、日本に責任があるとみなしたとするならば、一九四七年の対伊条約や他の条約における収用に関してなされたように、対日講和条約の中でも、日本が責任を引き受けることを米国は確認したであろう。
沖縄人に対する公平な取扱いを否定している行き詰まりの状態を打破する第一歩は、まず第十九条に関する米国の立場を再検討することである。検討して、もし第十九条は適応しないと結論をするなら、そこで米国は、その管理下の財源からの賠償支払いに対する責任を受託できるし、あるいは、いま改定すべき講和解決における欠陥の理由で日本と交渉すべきである。
もし、米国が第十九条に関する従来の立場を再確認すれば、米国は全関係者に対し、その理由を明らかにする義務があるばかりでなく、また外交上の交渉を通じて、日本による補償を積極的に追求する政治的義務があろう。
講和前補償に対する解決策を見出す責任を受託することが、米国の政治的利益に反するとして米国は正義のため、そして米国の国際道義水準を固辞するため解決策を見出す必要がある。かかる措置は、米国の政治的利益にとって、次の三つの面で必要とされる。
- 1、沖縄人は、この問題に関して、講和後の補償問題のように騒いでいない。なぜなら彼らは、米国が現在採択した新補償計画に直面しているからである。しかしながら、これら二つの問題は密接な関連をもち、講和発効後の問題が解決するとともに、講和発効前の問題はもっと意をひくことが予想される。
米国の土地使用問題は、他の要素よりも、沖縄人の政治的態度に善悪を問わず大きく影響するということは、最近の出来事が劇的に示した。沖縄に不穏があることは、米国の軍事基地の効果的利用に対し、重大な脅威を投げかけるものであり、沖縄経済に新しい資金をつぎこむことは、米国の政治、経済上の利益にもなる。
公共事業、すなわち電力供給及び給水などや小企業の発展のために、沖縄は資本を必要としている。個人に支払うことは、直接または銀行預金によってかかる資本を築くことができる。 - 2、沖縄の場合に似て、日本に対する米国の立場は危険である。日本には、南の同胞に対する強い感情的なものがあり、それはたやすく政治問題化する恐れがある。日本の場合はしばしば、沖縄に関する諸問題について、政府の立場を追求してきた。
- もし琉球住民に対する責任を回避すれば、それは日本における日米協調反対者にとっては、火に油といったことになり、両国間の強大な分裂力ともなる。
- 3、琉球における米国の行為は、世界各国、とくに東洋人の注目を浴びている米国は、琉球の行政に関して国連の信託統治理事会に対し責任は負わないが、沖縄および日本における不利益な政治的結果は、全世界に反響を呼び起こすことになる。(沖縄タイムス 一九五九年二月十五日)
へメンディンガー弁護士は、補償獲得期成会や南方同胞援護会と頻繁に情報交換の書簡を交わしながら、米国議会の有力議員たちとの折衝を続けた。
米国での折衝活動をヘメンディンガー弁護士に委ねた補償獲得期成会では、補償要求の基礎資料の万全を期し、一九五九年(昭三四)三月、各市町村に損失補償の個々についての実地調査を開始させた。
ところで、補償拒否を続けていた米国側は、このころから同問題について柔軟な態度を見せはじめた。同年七月二十日、ブース高等弁務官は「米琉合同土地諮問委員会(以後『土地諮問委員会』という。=(軍用地に関する訴願その他を審議する米琉双方から任命された委員会)が講和条約発前の土地等の損失補償に関する審議権を有し、さらに審議の結果について適当な措置を高等弁務官に勧告する権限をも賦与されている」という声明を発表した。
同年七月二十七日に開かれた土地諮問委員会では、ジョンソン・P・キング委員も同様なことを言明、その後、損失補償題は委員会の正式議題として取り上げらるようになった。
同年九月四日、ヘメンディンガー弁護士が、補償獲得期成会の招請に応じて来沖した。同弁護士の来沖は、ブース高等弁務官の声明に基づく土地諮問委員会への提案事項について、同弁護士との協議を必要として補償獲得期成会が南方同胞援護会と打ち合わせのうえ招請したものであった。
へメンディンガー弁護士は、八日間滞在して土地諮問委員会の琉球側委員と緊密な協議を重ね、提案書類の作成指導をするとともに、高等弁務官、副民政官その他関係筋とも会見して実情を説明し、善処方を要請し帰米した。
補償獲得期成会では、ヘメンディンガー弁護士の指導を受けて提案書の作成を急いだ。そして一九六〇年(昭三五)一月二十七日、不動産関係の損害補償要求額四、二八三万五、一二三ドル八九セント、ついで同年二月二十八日には、人身侵害関係の損害補償要求額七五万六〇四ドル五一セントを「平和条約発効前における沖縄の損害補償に対する提案書」として、土地諮問委員会に提出した。
この提案書は、土地諮問委員会において審議され、キング委員長はこれに対する判定と最終意見書を付して、同年四月二十日に高等弁務官に通達した。このことによって、講和前の損失補償問題にようやく前のきざしが現われ始めた。
へメンディンガー弁護士は、同年六月十七日、他の用務を兼ねて来日したが、南方同胞援護会との懇談の席上(補償獲得期成会長も出席)、請願書提出後のワシントンにおける進捗状況を次のとおり報告した。
高等弁務官の勧告書は陸軍省に到着し、目下、検討中であるが、陸軍省の法律顧間の見解として、これを合衆国の法的義務とせず、恩恵的救済の意味で考慮されている。また、同弁護士がかねて緊密な接触を保っていた国会議員筋でも、この問題に極めて好意的で、法案提出の労をとることを約束してくれている。
このように、好意的となった米国議会内において、ヘメンディンガー弁護士の要請を受けたジャット下院議員は、同年八月三十一日「琉球政府に対し対日平和条約発効前において合衆国軍隊の行為から生じた民間人の財産の使用、人体、財産への損傷に対する補償をなさしめる目的で金額を支出する権限を与える法案」を下院に提出した。
へメンディンガー弁護士の講和前補償問題に関する弁護契約は、当初、南方同胞援護会との間にかわされていたが、諸般の情勢と同弁護士の活動上の便宜を考慮して、弁護契約の期限満了を機会に南方同胞援護会では、同弁護士の希望もあり、政府筋の承認を得て、一九六〇年(昭三五)九月をもって補償獲得期成会と同弁護士との直接契約に改められた。

