地籍明確化法/一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)

沖縄の軍用地に関する問題解決、地主の財産権の擁護及び福利増進を行っています。

土地連連絡先

地籍明確化法

正式な名称は、「沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置」で、昭和52年(1977年)5月18日施行された。

この法律が施行されるまで、沖縄の地籍は混乱を極めていた。特に立ち入り調査ができなかった軍用地内においては、机上、いわゆる申請に基づいたはめ込みによる地籍作成となっていたため、公図と現地とにおいて大きなずれが生じていた。たとえば、ある土地が、現地においてはフェンス内にありながら、公図上ではフェンス外に位置しているため、もらえるはずの軍用地料がもらえないという問題が起きていた(その逆も存在)。土地連では復帰前からその早期解決に向けて取り組み、特に本土復帰に際しては、「復帰対策17項目」の一つに掲げ、対政府折衝を重ねてきた。

一方、政府においては、安保条約及び地位協定により、沖縄の軍用地を安定的に米軍に提供する義務を負っているが、地籍が混乱している現状から、いわゆる駐留軍用地特措法の適用が手続き上とれなかった。すなわち同法を適用するには土地の位置などを特定する必要があったからである。そのことから、土地を確定するまでの間の緊急措置として、「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」(昭和47年5月15日施行)いわゆる公用地暫定使用法を制定して、復帰後の軍用地の確保を図ってきた。しかし、この法律は時限立法で、昭和52年5月14日に失効することになっていた。ところが、法律期限内の5年で軍用地内の地籍明確化を完了することができず苦慮していたところ、土地連の要請もあって、地籍明確化法を制定するに至り、その附則で公用地暫定使用法の5年延長を図ったのである。その間に地籍明確化作業を推し進めていき、賃貸借契約に応じない軍用地の確保を図っていった。(この法律制定をめぐって、公用地暫定使用法の延長問題に絡む与野党の激しい攻防があったが、「4日間の法的空白」を生じて施行された)

この法律に基づく事業実施は、軍用地内については防衛施設庁(現防衛省地方協力局)が、軍用地外については沖縄開発庁(現内閣府沖縄総合事務局で、沖縄県に委託)が主体となって、県内における地籍混乱地域の調査及び明確化作業が行なわれてきた。

地籍明確化作業の結果、軍用地内については順次明確化が進み、平成20年3月31日現在、対象面積116.82k㎡、36施設のうち、115.36k㎡、36施設(うち駐留軍36、自衛隊9施設)、98.75%の土地が明確化されている。

残されている1.46k㎡、4施設(4市町、7小字で、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・シールズ、那覇空軍海軍補助施設(現在は那覇空港事務所管轄))については、関係地主による確認のための協議が整わないため、登記に反映するための認証申請手続きが保留されているところである。(軍用地以外についても98%以上が明確化されている)

同法第10条による位置境界の確認の協議は、「…全員の協議により、…区域内の各筆の土地の位置境界を確認する…」(いわゆる集団和解方式)となっているため、全員の協議が整わなければ法に基づく確認申請がとれない。協議に応じない地主は、主に主義主張の立場の違いによるものである。

地籍が未確定・未認証となっていることによる支障として、①地積は従前の登記簿上の地積のままであり、地籍調査後の新地積が登記に反映されていないことから、相続や売買時において混乱が生じる。②地籍が確定されていないため分筆登記ができない(持分登記となる)。③地籍調査によって戦前の土地所有が復活したものの登記に反映されないため、相続及び売買等が事実上不可能(地籍の特定により賃貸料は毎年支払われているが、登記簿上の所有権表示がないため、所有権の行使ができない)等々の支障がある。

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