本土復帰後の軍用地問題/一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)

沖縄の軍用地に関する問題解決、地主の財産権の擁護及び福利増進を行っています。

土地連連絡先

本土復帰後の軍用地問題

1971年(昭和46年)6月17日、日米両政府において、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(昭和47年5月15日発効)、いわゆる沖縄返還協定に調印。
同協定は、①沖縄の米軍基地はそのまま維持され、その軍事的機能が低下しないようにすること。②一部縮小される部分は自衛隊が補充し、日米相互防衛が強化されること。③米国の施政権は日本に返還されること。④再編成に要する費用は日本が負担し、沖縄をめぐる軍事的機能を維持するための支出は日本に肩代わりされること等の内容となっている。

同協定の発効により、沖縄は、27年にわたるアメリカの軍事支配から解放され、日本本土へ復帰することとなった。同時に、米軍が軍用地使用の法的根拠としていた布令第20号はそのすべての効力を失い、復帰後の米軍基地は日米安保条約並びに地位協定に基づいて継続使用されることとなった。
継続使用される沖縄の基地は、沖縄返還協定に附属して締結された、「基地に関する了解覚書」に明示され、A表(返還されない基地)で88ヶ所、B表(適当な時期に返還される基地)で12ヶ所、C表(即時返還される基地)で34ヶ所が示された。施設数の計算には疑問を呈する意見があり、また、復帰前とほとんど変わらない基地の実態からして、政府が確約し、県民が望んだ「本土並み」とはほど遠いものであった。

米軍の用に供することについて、日米間の合意がなされた土地は地位協定に基づく「施設及び区域」となり、また、沖縄県における防衛と災害救助活動などのため、必要限度の土地は自衛隊の施設(C表のほとんどを引き継ぐ)となった。そのため、政府は軍用地関係地主と双務契約締結の必要に迫られたのである。(復帰前の軍用地の管轄は、復帰と同時に関係省庁に移行した。米軍基地と自衛隊基地は防衛施設庁に、那覇飛行場は運輸省に、軍用道路は建設省・沖縄県に、ダム・水道施設は沖縄県企業局に、電力施設は沖縄電力にそれぞれ移管した)

ところが、関係地主の数が約3万人に及んだため、すべての契約を短期間に完了することはほとんど不可能な状況にあった。
そこで政府は、復帰後も引き続き国などが公用地等として使用することを必要とする土地については、5ヵ年を超えない範囲内で、権原を取得する措置を図った。権原を取得するまでの間使用することができる旨定めた「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」(1971年12月31日公布、昭和47年5月15日全面施行)を制定し、契約に応じない地主の土地についても強制的に使用できる措置を講じたのである。

政府としては、本来なら現行の「駐留軍用地等の土地使用に関する特別措置法」(1952年5月施行)又は土地収用法を適用して権原を取得すべきであった。ところが、復帰時における沖縄の軍用地のほとんどが地籍未確定の状態にあり、土地の位置が確定できなかったことなど手続き上の問題から、公用地暫定使用法の立法措置により使用権原を取得したのである。

公用地暫定使用法は5年間の時限立法であったことから、政府はその間に契約に応じない地主から賃貸借契約を取り付けて使用権原を取得することにしていたが、そのすべてを取り付けるまでには至らなかった。同法の失効期限まで取り付けられなかった地主の土地の使用権原を取得するため、政府は、いわゆる地籍明確化法を制定して、その附則で公用地暫定使用法の5年延長措置を図り、使用権原を取得する一方、地籍明確化法に基づく調査を進め、地籍が明確化された地域内に所在する未契約地主の土地の使用権原を取得していった。

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